空の屋根に座って

感動は、残しておきたい。

【感想】青の祓魔師27巻

 以下、青エク27巻(2021年7月2日発売)のネタバレを含みます。原作で明らかにされていない部分の考察、展開予想もあるので、苦手な方は自衛をお願いいたします。


 年明け頃に加藤先生が体調を崩されたと聞いて心配でしたが、最新刊が発売されたということは大丈夫なんですかね……(・・;)本誌追ってないし、公式Twitterも見てないからヤフーのニュースで知ったんですけど、人気がある漫画家ほど激務でしょうから、ほんとお大事にしてほしいです……。

 さてさて、本編についてですが、やっと、やーっと兄弟喧嘩が一段落しましたね! 前巻がなかなかに暗い展開で、気持ちが引きずられただけに、今回持ち直してくれて本当に良かったです。

「なんで俺を頼らない!?」と問い質す燐に、「お前だって頼らねぇだろ!」とプッツンする雪男。お互いに、相手から頼られない寂しさや無力感を抱えて、その反面、自分が相手に頼ろうとすることはないから余計に拗れて……なんだか胸が痛いです。長年に渡って作られた価値観ならそう簡単に変えられるわけもないでしょうし、だからこそ彼らの喧嘩はじっくり時間をかけて描かれたのかもしれませんね。

「過去を知れば… 頼らなければ 正しければ 力があれば 苦しみは終わるんだと思ってたけど――違った」
「僕を苦しめているのも 失敗を許さないのも 僕だ」
「僕は 僕を許したい」

 痛み分け後、雪男が燐に言いました。なんかもう、ジーンときましたね。この答えに自ら辿り着けたことも本当に素晴らしい。
 燐に「許さないって、誰が?」と聞かれて、ライトニングに「そんなに罰されたいの? なんで?」と問われて、京都での過ちを勝呂が水に流してくれて……。雪男が今まで一人で背負っていた重荷をこれからは少しでも下ろしていってほしいですね。
 
 奥村兄弟の喧嘩鎮静後、狙いすましたかのようにルシフェル陣営が姿を見せました。エギュンからエリクサーを受け取ったときのルシフェルの表情がまたいいんですよね。

「勝った」

 少年か。かつてここまでイキイキとした光の王を見たことがあるだろうか、ってくらい表情豊かでした。顔の角度のせいですかね……?
 ただ、守れた一滴のエリクサーについて誉に指示を出したとき、彼女が何かを躊躇っているように見えたのは気になります。サタンのうなじに注射したものがエリクサーだと思っていましたが、じつはすり替えてたりして……。光の王に心酔している誉なら、サタンより光の王を助けたいと思うかもしれないですしね。

 そして、ついに地の王としえみの関係が明らかになりましたね~嬉しい! メフィストから言われた「お前の自由時間もあと僅かということだ」の意味は、あと少しで使い魔になるという暗示だったようですね。実質一年半、おばあちゃんに鍛えられてパワーアップしているはずなので、しえみが新たにどんな能力を身に付けたのか楽しみです。頑張れしえみ!

 一方、扉の外の世界では、プランb発動に伴い、対魔神封殺軍が召集されました。不浄王討伐のときに駆け付けてくれた祓魔師や、劇場版に出てきたリュウ=セイリュウ(合ってます?)とか続々集まってきてましたね。そして、極め付きは蟲の王のご登場。ベルゼブブかわいいな……。虫嫌いな志摩さんとひと絡みあったら面白いなって思いました。

 それにしても、ようやく足並み揃った感じで何よりです。メフィスト的にも燐と雪男が手を取り合う展開は「待ってました☆」と言わんばかりに嬉しいはず(最後のほくそ笑んだ顔なんて完全にキマってましたし……)すごいクライマックス感でてるので、この調子ならサタンもぶん殴れそうな気がしてきます(笑)

 さて、この時点でまだ未解明の部分をまとめてみたいと思います。自分用の備忘録なので、以下は読み飛ばしてください。

メフィストの思惑(フィクサーすぎてもはや分からん。しえみの教導霊にさせるために、おばあちゃんのこと事故に見せかけて殺したんじゃないかくらいには疑ってしまう…)
・ライトニングの正体(アザゼルとはどんな関係?)
・宝ねむの正体(メフィストとはどんな関係?)
迦楼羅の行方(勝呂との再契約はあるか?)
・ネイガウスメフィストの約束(デビル☆バニッシャーの残り一発をどこで使うかも気になる)
・エレミヤ=ウザイの思惑(ルシフェル陣営なのは間違いなさそうだが…)
・エンジェルの正体(再登場はいつ?)
・子猫丸の参謀・情報処理スキル(まさか使わずに終わる…?)
・志摩の死亡フラグ(散々、周りから死ぬぞって脅されてきたけど、持ち前の図太さで生き残れるか?)

 以下は別ブログで書いた過去記事。
青の祓魔師 展開予想1
青の祓魔師 展開予想2
青エク25巻 感想

【感想】凍りのクジラ

凍りのくじら (講談社文庫)

凍りのくじら (講談社文庫)

 辻村さんの作品を読むのはこれが二作目で、裏表紙の紹介文を読んだときは「???」と頭上にハテナが並びました。というのも、辻村さんの小説は、人間のもつ暗い部分を克明に描写する作風だと思っていたので、ドラえもんの世界観とどうリンクするのか全く想像できなかったからです。ただ、読んでみれば分かりますが、この本は藤子・F・不二雄を超絶リスペクトしていないと書けない話でした。
 
 高校生の理帆子は、頭が回るゆえに人を馬鹿にしがちでした。表向きは愛想よくしながらも、誰といても心から楽しめない。そんな自分のことを藤子・F・不二雄がいう「SF(スコシ フシギ)」に倣って、「少し 不在」と分析していました。他の登場人物に対する評価もとにかく辛辣で、もし自分の友人がこんな風に思っていると考えるだけでゾッとしてしまうくらいです。

 でも、まったく共感できないかって言われると、そうでもないんですよね。少なからず人はダークな部分があるわけで、他人に期待しないほうが傷付かないことを知っているから、内心では裏切られたときに備えて「少し 不在」でいる必要があるんだと思います。そして、そう思ってしまう性質を『とても息苦しい』と理帆子は表現しています。その葛藤が自分と重なって、私自身も読んでいて苦しかったです。自分の暗い部分を直視させられるような感覚でした。
 ただ、理帆子は美人の設定なので、その描写が出るたびに我に返れます(笑)「危ない危ない、これ小説だったわ」って。そのくらい現実味がある話で、気が付くと引き込まれてしまいました。

 辻村さんの書き方で毎度スゴいなと思うのは、ダメ男の出てくるシーン。今回は若尾という司法浪人生で、こちらは理帆子よりもはるかに他人を馬鹿にする性格の持ち主。スロットで取ったお菓子を店のテーブルにダバダバと溢して「リホ、嬉しい?」と聞くところなんて、サイコパス感が半端じゃない。身の毛のよだつってこういうときに使うんだなって思いました。彼は最終的に自殺未遂で病院送りになりましたが、理帆子はあんな執着の塊みたいな人間とどうやって縁を切ったんでしょうね……。

 こんなとき、頼れる人は家族なのでしょうが、理帆子の場合は父親が失踪しており、母親も末期ガンを宣告されて入院中。ひとりで抱え込む以外にありませんでした。そのお母さんのこともあまり良く思っておらず、小説の中盤くらいまでは割とボロクソな評価でしたが、お母さんの容態が悪化するにつれて、それまで目を背けていた不安が強烈に存在を主張してきます。それもそうですよね。明日には唯一の肉親が死んで、天涯孤独になってしまうかもしれないと思ったら、どうしていいか分からない。理帆子はとても理知的な女性なので、なんとか普段どおりの生活を心掛けますが、それでも切迫感は文章からバシバシ伝わってきて、もう何とも言えない気持ちになりました……。お母さんが遺した写真集を見ているときなんて涙腺が崩壊して、寝る前にちょっと読もうくらいの気持ちでいたのに、そのシーンはひと息で読みました。

 予想していたとおり、明るい話にはなりませんでしたが、そんななかでも救いになった人物が別所、郁也、多恵さんの3人。海面を覆い尽くす流氷から、クジラが割れ目を探して息を吸い込むように、一時だけ苦しさを紛らわしてくれるような存在でした。
 本を読むのが好きだった理帆子。なかでも愛読書は『ドラえもん』。反応が怖くて誰にも打ち明けられなかったのに、彼らにだけは自然に「私、ドラえもんが好きなんです」と言えました。そして、彼らは馬鹿にすることもなく、過剰に反応するでもなく受け止めてくれます。一緒にしていいか分からないですけど、オタバレとかこんな感じではないですかね。身構えてしまう理帆子の心理が分かるからこそ、彼らの存在に救われる部分がありました。

 そして、最高だと思ったのは、郁也をおぶって夜の道を引き返しているとき、背中に感じた「ドシラソラシ ドシラソラシ ドシラソラシ ドシラソ」の場面。郁也は失語症の少年ですが、理帆子が監禁場所から救いだしたときには意識がなく、理帆子は祈るような気持ちで暗い森の中を進んでいました。そんなときにあのドラえもんのオープニングイントロを出せるセンスには鳥肌が立ちます。場違いなくらい明るいメロディですけど、理帆子にとっては福音に聞こえたことでしょう。ドラえもんの優しい世界と相まって、このシーンは一番感動しました。

 最後はなんだかシックスセンスを彷彿とさせるようなオチで、かなりビックリさせられました。言われてみると、たしかにあきらさんは誰とも会話してないんですよね。SFの盲点を辻村流でやってみせた作品だなぁと思いました。
 そういえば、あきらさんの好きな女性って誰だったんですかね。昔のお母さんだったのかな。

【感想】麒麟がくる最終回

 ついに終わってしまった「麒麟がくる」。約一年も見続けてきただけあって、最近では最も思い入れのあるドラマでした。もう来週からは観られないと思うと寂しい気もするけど、それ以上に物語の結末を見届けられたことに胸がいっぱいです。コロナの影響で過去に例のない大変さだったと思いますが、毎話妥協しないクオリティには頭が下がります。キャスト・スタッフの皆様、本当にお疲れ様でございました!
まだ再放送があるので、最終回のネタバレ感想は隠しテキストにしておきます。

 ネットでは「最終回まであと少しなのに、本能寺の変に間に合うの?」という意見が多かったけど、あらゆる場所にフラグを立てて、満を持しての“本能寺の変”だったと思います。
そして、麒麟がくるで披露された新解釈が実に良いんですよね。従来、光秀の動機は怨恨とされてきましたが、ドラマを観ていると、もっと大きな信念のもとに彼は動いていたことが分かります。

 ちなみに、ドラマでは十兵衛のお母上が殺されるシーンはありませんでした。麒麟がくるの鋭い考察をされている方によると、なんでもそのエピソードは後世で創作された可能性が高いのだとか!(次週ついに本能寺! 森蘭丸の「無礼であろう!」が浮き彫りにした光秀、秀吉の危機【麒麟がくる 満喫リポート】 https://serai.jp/hobby/1017053 より)
ビックリですよね~。でも創作だとしたら、それはそれで良かった。あの優しい牧さんが磔にされると思っただけで震え上がるから……。

 十兵衛の「世を平らかにする」という信念はドラマ開始時から一貫しており、作中で何度も出てきました。そんな終生の悲願を達成すべく、時には斎藤道三に、時には足利義昭に、時には織田信長に仕えてきました。その時々に、自分の主君こそが世を平らかにできると信じて。
 けれど、最後の主君である信長は戦のたびにパワハラ上司になっていく。人格的に気に食わないというだけならまだしも、彼の政策はますます平和から遠ざかっていくようにしか見えない。それが十兵衛には耐えられなかったのでしょうね。本能寺の変は、起こるべくして起こった事件なのだと改めて思いました。

 塀の上に見える水色の桔梗紋。それを目にしたときの信長の心情を思うと切ないです。出演者ラストメッセージで染谷さんも仰ってましたが、『攻めてきたのが光秀であったことへの喜び、悲しみ、切なさが入り混ざった複雑な感情』がそこにはあり、それらを見事に演じていらっしゃいました。

『長く眠ってみたい』
『二人で茶でも飲んで暮らさないか』

 暴政をふるう信長でも、こんな台詞が飛び出すほど戦乱の世。天下をとってなお、満ち足りることはないのだと思うと、なんか考えさせられますね。死が目前だというのに、信長にどこか安堵の表情が見えるのは、今までずっと走り続けて休み方を忘れてしまった自分に、誰か引導を渡してくれと心の奥底では願っていたからではないでしょうか。そして、兼ねてから一目置く十兵衛が相手だったからこそ、『是非もなし』という言葉が出たんですよね。

 本能寺にあがる炎を見つめながら、十兵衛が思い出を振り返るシーンは涙を誘います。朝の浜辺で初めて会った日のこと、二人で大きな国を作ろうと語り合ったこと……初期はあんなにピュアピュアだったのに、いつからこんな殺伐としてしまったのか……。あの頃に戻りたい。

 そういえば、本能寺の変前日、囲碁を打つシーン出ましたね!ヒカ碁の番外編でも取り上げられたシーンで、ちょっと興奮しました。しかし、どこが三コウになってたんだろう……。一瞬すぎて盤面ちっとも分からなかったです。まぁ、じっくり見ても分かんないだろうけど。

 十兵衛が天下をとった後から没するまでの描写ほぼなし(ナレーションのみ)、という展開は個人的にすごく気に入りました。歴史を知ってる私たちは、このあと中国大返しがあって秀吉に討たれると予想できるけど、物語として見たときに、この終わらせ方が最良であることは明らかです。十兵衛が竹槍に刺されて死ぬシーンを付けたところで蛇足にしかならないし、麒麟がくるの本筋は十兵衛の生涯ではなく、十兵衛が成し得たかったことだからだと思うんです。

 あまり詳しくないんですけど、十兵衛=南光坊天海って説があるんですよね。じつは生きているという想像の余地を残したラストは非常に夢があります。家康に託した手紙も、再来年の大河「どうする家康」で触れてくれたら嬉しいなぁ。

【備忘録】1日で話せる「英語」 まんがで楽にマスター!

読んだだけだと忘れてしまいそうなので、記録用に書いています。
3つの単語と使い方を覚えれば、英語は話せる
という夢のような話ですが、果たして本当でしょうか。

ちなみに、その単語というのは以下の3つ。

sound

A=B」で表せる。

(例)彼はかっこいい。
He sounds cool. 彼かっこいい

He is cool. でもいいけど、断定的。
sound を使えば柔らかい印象になる。
よく耳にする "It sounds good! "(それはいいね!)にも sound は使われている。

find

SV A=B」で表せる。前述よりSVが追加。

(例)彼はかっこいい。
I find him cool. (私はわかる)かっこいい

sound と何が違うかというと、私という主観になっている部分。
sound は評判的な意味合い(~らしいよ)に対して、find は「私は~だと判断する」というニュアンスになる。

give

「SVOO」で表せる。

(例)彼にチョコをあげた。
I gave him a chocolate.

誰かに、何かをVする、というときに使う。

反対に、彼からチョコをもらった場合、
"I was gotten a chocolate by him." にしなくとも、
"He gave me a chocolate. "と短く済ませられる。

おまけ

前置詞で困ったら、at(場所・時間)、with(原因)でなんとかなる。
「積み残し情報」といって、上述の3つで文章を作ったとき、あふれた情報を付け加える。

(例)Your words turned my face red with anger!
キミの言い方が ボクの顔を 真っ赤にさせた 怒りで

まとめ

本書は、3つの形さえ意識すれば会話に困らないという話でした。
中学校で5文型ってやりましたけど(遠い記憶ですけど……)

sound は SVO もしくは SVOC
find は SVOC
give は SVOO

にあたります。大仰に言ってるけど、基本なんですよね。
そして、その基本ができない私……。
ただ、完全に言い訳ですけど、TOEIC高得点者でも英作文になると
haveやbe動詞ばかりしか使えなくなるらしいですよ。
いかに英語と日本語で考え方が違うかがわかりますよね。

ということで、以上備忘録でした。


ところで、give をつい gibe ってタイプしちゃうんですけど、
私だけですかね? 記事の中で誤字ってたら大目に見てください。

【感想】黒執事

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 黒執事の15周年記念でコミックス30巻まで読みました。公式太っ腹すぎる……。
 私はアニメしか知らなかったのですが、原作はこんな面白いことになってるんですね。ビジュアルがとにかく綺麗な作品なので、ストーリーはおまけくらいに思ってたのですが(超失礼)ビックリするほど伏線が秀逸。

 じつは以前ネットでネタバレ記事を読んでいたので、シエルの過去は知っていたんですけど、それでも既知なりの楽しみ方ができました。初見だったら完全スルーしてたシーンが多かったなぁ、って。枢先生の練り込み力が凄まじいんでしょうね。19世紀英国の雰囲気は保ちつつ、現代のエンタメをオマージュしているのも楽しかったです。

 読了してから興奮冷めやらず、勢いで夢小説探してしまったんですけど(笑)ジャンルの規模がそれほど大きくなくて「馬鹿な……!」と頭を抱えています……。みんなどこに隠れているんや……(必死)たぶん書かないけど、お相手シエルの両片思い設定を考えてしまうくらいには黒執事好きになりました。

 色んな電子書籍でキャンペーンやってたみたいなので、これを機にまた改めて盛り上がるといいですね。私も新刊出たら買いたい。

【感想】現金強奪作戦!(但し現地集合)

 明けましておめでとうございます。昨年に訪れてくださった方も、今年はじめて来てくださった方も、ありがとうございました。昨年はすべての方々にとって大変な一年となりましたが、今年こそ明るいニュースが聞けるといいですよね。2021年も当ブログをよろしくお願いいたします。

 自粛期間中に読書をしようと思ったのですが、集中力と想像力が足りなくて、気づくと文字を追ってるだけになります……。当然、内容なんて頭に入りません。なので、最近は短編集を読むようにしています。

 今回の感想は、倉知淳さんの『シュークリームパニック』に収録されている『現金強奪作戦!(但し現地集合)』です。タイトルが個性的ですよね。ただし、オチをネタバレすると最高につまんなくなるので注意。


 主人公は家賃が払えず取り立てに喘ぐ青年「サトウ」。物語は、そのサトウが後楽園のウインズでハズレ馬券を拾い集めているところから始まります。なんでそんなことをしているかっていうと、もしかしたらその中に当たり馬券が混じっているかもしれないから。そんな有るかも分からないものを頼りにしなければいけないほど、主人公はジリ貧でした。

 そこへ声をかけてきたのが「サクラダ」という一人のオッサン。
「兄ちゃん、金、欲しいないか?」
 見ず知らずの人間から出し抜けに尋ねられて、怪しさがハンパないです。絶対ヤバイ仕事だ、と思いつつもサトウはジリ貧。話を聞いてしまいます。

 ちなみに持ち掛けられた話は銀行強盗だったんですけど、追い詰められていく人間の心理が短いながらも順序だてて描かれていて、強盗が悪いことだって分かってはいるけど、それでも主人公には同情してしまう。ドン底にいる人間に甘い話をしてはいけません。1000%乗っかってしまう……。

 ただ、すごい暗い話かというとそうでもなくて、滑稽な表現が多いです。ギャグミステリといった感じ。
 たとえば、主人公は高校卒業後に上京して仕事に就いたらしいのですがそのときの経験を語ったのが以下。
「焼きあがったメロンパンがベルトコンベアで流れて来るので、それをトングで挟んでひっくり返す。ただただひたすら、ひっくり返す。メロンパンが流れて来る。それをひっくり返す。メロンパンが流れて来る。それをひっくり返す。一日九時間、延々とそれを繰り返す。メロンパンが流れて来る。それをひっくり返す。人間的な感情が、耳の穴から流れ落ちていくのを感じた。たまの休みのパチンコや競馬が、唯一の楽しみだった。そして休み明けには、メロンパンをひっくり返す。メロンパンが流れて来る。それをひっくり返す。おかげで今もってメロンパンが食えない。あの甘い匂いを嗅いだだけで気が狂いそうになる」
 こんなにメロンパンって書くことないよね……(笑)ダメ押しで、
「特技といえば、メロンパンをひっくり返すことくらい」
 と自虐も忘れません。

 この話の山場は何といっても銀行強盗当日。
 サトウはいわれたとおり、ターゲットにしている銀行に客を装って入店します。迎えた決行時刻。目出し帽を被った仲間が「動くなっ、おとなしくしろ!」とお決まりのセリフで行内にいる人を黙らせます。
 主人公も拳銃(モデルガン)を高々と見せつけるように掲げて威嚇。けれども、仲間はいつまでもその場を動きません。立ち尽くしています。なんか事前に聞いていた段取りと違うんだけど……!

「おいおい、何やってるんだ、僕の役目はあんたを補佐して金を運び出すことなんだぞ。あんたが動いてくれないと、こっちも何もしようがないじゃないか」

 胸中では焦りまくっている主人公。それでも他の目出し帽たちは微動だにしません。

「人質の皆さんも、手を挙げたまま止まっている。指示も命令もないので、困惑し始めているのがありありと判る。表情も、当初の驚きや恐怖が薄れ、きょとんとした顔つきになってきた。『えーと、どうしたらいんでしょうか、私達は。何かした方がいいんじゃないでしょうか』とでも云いたげである」

 この皆が皆、「今の時間、何?」状態なのが面白いです。その空気を見事に表現できているところも素晴らしいし、それまでの軌跡からは想像もつかないような展開であることも意表を突かれました。

 じつは持ち掛けられた銀行強盗は、別の場所で銀行強盗を成功させるための囮だったわけです。イヤーやられた。ちなみに一緒にいた仲間と思っていた目出し帽たちは、サトウと同じくサクラダに話を持ち掛けられた哀れな子羊。本物のサクラダは別の銀行を襲撃してちゃっかり逃げ遂せていたのでした。これぞ現地集合が招いた悲劇……。

 じつは今回読むのは二度目でして、やっぱり一度目ほどの驚きはないものの、時間が経っても印象強く残っている作品です。この本には六編収録されているけど、私はこれが一番面白かったです。

【感想】「悩みグセ」をやめる9つの習慣

 会社員の頃に買った本です。タイトルから分かるように、悩みグセに悩んでたんでしょうね。
 そして、今この本を手に取っているのも、また悩みグセに悩んでいるからにほかなりません。
 改めて読んでみて「なるほどな」と納得したこと、「こういう見方もあるのでは?」と疑問に思ったことを自分なりに書いてみます。

できないことは後回し

 焦ってる人ほど「心理的視野狭窄」を起こしやすいです。
 心理的視野狭窄とは、人は焦っているときほど冷静に物事を見られないということ。

 この本では「10分探して見つからないものは、1時間探しても見つからない」と言い切っています。
 家の鍵とか、眼鏡とか、スマホとか……。たしかに部屋の中を探しても見つからないときありますよね。
 そして、しばらく経ってから「こんなとこに……!?」って意外な場所で見つかるんですよ、悔しい。
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 私の場合、転職活動のサイトを延々と見たりするのも、心理的視野狭窄が働いているのかもしれません。
 もちろん就職先を10分で決めろ、という話ではありませんが、「寝かしてみるのも手」だったりするのかも。

欧米のほうが日本よりも本音を言えない文化

 じつは日本よりも欧米のほうがハッキリと物事を言えない風潮があるのだとか。
 一見、信じがたい話ですよね。
 だって、トランプ前大統領なんてあけすけに発言するじゃないですか。
 ほかにも、海外の俳優さんのほうが発信力が高いイメージがありますし。

 けれども、一般人レベルでいうと、白黒ハッキリ言える人は少ない、というのが本書の主張です。
 どうしてハッキリ言えない文化があるかというと、考えられる要因のひとつが訴訟社会。
 口が滑ったことで慰謝料が莫大になりうる欧米では、たとえ夫婦間でも気を許せなくなってしまうことも……。
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 だからこそ、欧米では「ホームドクター」をつけるのが一般的らしいです。
 心がしんどいとき、風邪を引いたときと同じように病院へ行く。受診の垣根が日本よりも低いのです。
 日本だと、精神科や心療内科に通っているというだけで、深刻な空気になりますよね。
 どちらがいい、という話ではないけれど、国が変われば抱える悩みも違うんだなと思います。

決めつけをなくす

コレステロールがちょい高めのほうが長生き
地球温暖化の原因は必ずしも二酸化炭素ではない
 あなたは、これを聞いて「絶対違う」と思いますか?
 それとも「可能性はあるかも」と思いますか?
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 強く信じている人とそうでない人では、話が衝突しそうですよね。
 最初から決めつけてかかると、分かり合えたはずの人と分かり合えなくなってしまうというのが筆者の主張です。

 まぁ、何でも疑ってかかれとか、全部鵜呑みにしろとかではないけれど、「これしか認めない」という考えよりは「違う意見も受け入れられる」ゆとりがあったほうが、人間関係は上手くいきそうです。

感情が認知を歪める

 私は自他共に認める卑屈野郎なので、自己肯定感が低いと誉め言葉も素直に受け取れません。
 「それ絶対思ってないよね?」とか「あてつけなのでは?」と勘ぐってしまいます。

 この本で出された例として、「朝、出勤したら上司に会議室へ来るよう言われた」という場面があります。
 そのとき、あなたはどんなことを想像しますか?
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 私は100パー「ヤッベー、なんかやらかした!」と想像します。
 ところが、これこそ認知の歪み
 なぜなら「会議室へ来るように」としか言われてないのに、妄想だけが先走っているからです。

 やましいことがなければ、構える必要はありません。
 今回は極端な例ですけど、マイナス寄りの妄想ばかりが浮かぶときはお疲れなのかもしれません。
 そして私は、マイナス寄りの妄想しかできないので、疲れを通り越して麻痺しているのかもしれない……。

用心深い人ほど騙される

 疑り深い人はなかなか心を開きません。
 だからこそ、幾重もの「疑りフィルター」を通して選ばれた(?)人を信頼します。
 妄信、といったほうが近いかもしれません。
 それゆえ「〇〇の言うことだから」と騙されてしまうのです。

 私も他人と打ち解けられないタイプですが、そのなかでも打ち解けられた人には安心感から騙されてしまうかも。
 最近は「この人に騙されたら、もう諦める」くらいの境地でいます。

ほどよい距離がかえって上手くいく

 親しいことは正義に思えるけれど、近づきすぎないことも同じくらい重要です。
 家族だから、友達だから、何でも許されるというわけではありません。
 言われたくないこと、聞かれたくないことの一つや二つあるでしょう。
 ほぼ初対面の人に「年収は?」「結婚してるの?」「子どもはいるの?」などプライベート聞く人はいませんよね。
 たぶん、もっと無難な話題から入ると思うのです。天気とか。食べ物とか。
 上辺だけの会話で親しみがない、と思う人もいるかもしれませんが、それでもいいのです。
 近づきすぎると心の距離はかえって開いてしまいます。

満点をとれる厚かまし

 見た瞬間、ギクッとしました。「完璧がお前ごときにできると思うなよ」と言われた気分……。
 すごい人って周りにいますよね。長時間仕事して、家事もして、育児もして、パートナーや周囲の人をきちんと労うような……。
 今は働きながら子育てが当たり前、みたいに言われていますけど、私からすればその生き方が「完璧」に見えます。
 そんな人たちが、とんでもなくすごい芸当をしているように思えるのです。
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 「でも、みんなやってるし、私も目指さなくては……!
 白状すれば、今でもそう思っています。 
 なんか、みんなやってるから私にもできるみたいに思ってる気がするんです。
 私にも満点が取れるような気になってくるんです。
 でも、それって幻想なんですよね。そもそも「みんな」って誰のことを指してるんですかね。
 自分の能力をきちんと把握できてないんだなって思いました。結論「満点は無理」

謙譲も過ぎると毒

 「駄文ですが、よろしくお願いします
 よく、WEB小説の紹介に載ってますよね。こう書きたくなる気持ち、分かります。
 けど、その自信のなさが誰かを不快にしていることもあるんです。
 駄文と書いた小説が読者からすると非常によかったとき、自分が書いた小説に比べて語彙力があったとき、「この人が“駄文”といってる話をいいと思ってる私は何?」現象が起きます。
 といっても難しいところで、自信満々を主張されても鼻につく感じがしてしまうものですが、言葉にして言う卑下はほどほどが吉です。

期待されれば人は伸びる

 これを「ピグマリオン効果」といいます。ケチョンケチョンに言われるよりは、期待されたほうがモチベーションもあがるかもしれません。
 今季ベイスターズの主将を務めた佐野選手は、この最たる例なのかも……?(もちろん、ずっと頑張ってきた成果が今年になって実を結んだのだと思いますが)

 私は、期待されるとプレッシャーになってしまうタイプです。
 だって、褒められることが「報酬」になると、褒められなかったときが無力感でいっぱいになるから。
 本に異を唱えるような書き方になりますけど、「褒められること」や「周囲の期待」はあくまで副産物ぐらいにとらえたほうがよさそうです。
 褒めてくれる人が必ずしも近くにいるとは限らないですし、いても貰えるものとは限らないです。
 期待されていたとしても、その期待は時間が経てばどんどんレベルを上げられてしまいます。欲望と一緒で際限がありません。

錯覚による期待外れ

 テストで95点取ったA君、60点だったB君。
 A君は褒められ、B君は叱られました。

 次のテストで、A君は80点、B君は70点。
 A君は「油断したのね?」と責められ、B君は「よく頑張ったわね」と褒められました。

 めでたしめでたし。
 では全然ないですよね。

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おかしいにゃん

 これらは一見、本人たちの努力の度合いを表しているように思いますが、そうではありません。
 初回のテスト。満点までA君は5点、B君は40点の差があります。
 言い換えれば、A君は5点しか伸びしろがないということ。
 そう言われると、A君が次回のテストで前回を上回るのは大変そうですよね。

 けれど、条件を無視して、次回も同じ水準を求めてしまうから期待外れを引き起こしてしまうのです。

 私にも似た経験があります。
 先日、私はMOSというエクセルの資格を取りました。
 もっと他の機能も知りたくて、その資格の上級コースを現在勉強中です。

 しかし、合格直後は意気揚々と勉強できていたのに、今はなぜかそのペースが上がらないのです。
 普段から怠け癖があるので、自分の性格のせいだと自己嫌悪したりもしました。

 けれど、ペースがあがらないのは当たり前。だって、今やってる勉強は「上級」コースなのだから。
 そう思いついたときハッとしました。知らない情報が以前より格段に多い試験に対して、前と同じペースでできるわけがなかったと。

 それからはその日に進んだページ数も気にしないようにしています。

複眼思考

 内容としては、前述の「決めつけをなくす」に近いかもしれません。
 物事にはさまざまな面があります。それを意識できるかどうかが重要です。
 白黒決めたがる人、早く結論を出さないと気持ちが悪い人は、この複眼思考を気にしてみるといいかもしれません。
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 ちなみに、この「早く結論を出さないと気持ちが悪い人」って、せっかちな人が多いんでしょうかね。
 私はメールも早く返さないと落ち着かないし、必要な提出書類があればすぐに準備したいタイプなのですが、こういう人は白黒二分割思考に陥りやすいのかもしれませんね……。

 ほかにも、私は長く体調が悪いとき、「全快でないという状態」に鬱々としてきます。その際、「全快」と「不健康」くらいの分け方をしていたように思います。
 たぶんこれを複眼思考で考えるなら、「絶好調」「好調」「まぁまぁ」「可もなく不可もなく」「ちょっと調子悪い」「あんまり元気ない」「不健康」「軽症」「重症」とかグラデーションになるんでしょうね。
 そして、「あんまり元気ない」だとしても「これをやってるときは元気」「夜になるとつらい」とかもっと細分化できるはず。
 「良い」と「悪い」の二択は分かりやすいけれど、それだけが答えではないのです。

まとめ

 今の自分の状況に置き換えながら読むと、いろいろ発見がありました。
 ただ、タイトルに「習慣」とあることから、本書の実践を習慣化していかなければ、私のように何年たっても「悩みグセ」に悩まされてしまいます。
 きっと、この記事を書いて数年後も、大して変わらぬ価値観で生活しているかもしれません。
 それでも、立ち止まったときに読み返して「ああ、そうだったそうだった」と補正していきながら読むのもアリな気がしています。