空の屋根に座って

感動は、残しておきたい。

【感想】はなとゆめ

 「天地明察」の作者、冲方丁さんの小説です。
 映画の天地明察がおもしろかったこともあり、同作家さんが書かれた「はなとゆめ」を手に取りました。
 じつは、人生で初めて読む歴史フィクションだったりします。

 歴史に明るくない私が読んでも大丈夫だろうかと思いましたが、読んでみてビックリするぐらい平気でした。
 「鳴くよウグイス平安京」しか知らなくても(なんなら、それすら知らなくても)ノープロブレムです。
 かといって史実を軽んじているわけでは決してなく、まるでその時代を見てきたかのように細かく再現されているので、知識がある人なら一層おもしろく感じられることでしょう。

 さて、本作は枕草子の作者でおなじみ清少納言が主人公です。
 地の文はですます調で、清少納言追想というかたちで語られていきます。
 それだけに情景描写が恐ろしく優れていて、さすがは「春はあけぼの~」の作者といった感じです。
 清少納言は、一条帝の后である中宮定子に仕える女房です。最初の頃、その性格はすごくシャイでした。
 見た目に自信のない彼女は、昼間は人目を嫌い、夜にしぶしぶ主のもとへ参上するという引きこもりっぷりです。
 そして、その様を定子に「葛城の神(醜い見た目を気にして夜にしか出没しない神様)」とからかわれる始末。
 でも個人的には、いつでも堂々としているより、ちょっと弱気なキャラクターのほうが親近感が湧きます。

 そんな清少納言を、主である定子は呆れるどころか面白がって、いたく気に入りました。
 なかでも私が印象に残っているシーンは、清少納言の名を初めて呼んだときです。
 この時代『女房の呼び名は、父兄や夫の官職がもとになるのが常』で、清少納言も初めは父親の赴任先にちなんで「肥後のおもと」と呼ばれていました。
 しかし、あるとき定子は皆の前でこう言うのです。「清少納言」と、凛とした声で。
 位階は、肥後のおもと < 清少納言 ですので、定子が名を呼んだ瞬間を境に、清少納言はランクアップしたわけです。まさに鶴の一声。
 現代ではちょっと考えられないですよね。
 これには清少納言も『人の運命を変えることのできる力。たった一言、その名を呼ばれただけで、わたしは不安を覚えながらも、気づけば痺れるような驚きと喜びに打たれていました』と当時を振り返っています。

 そして、徐々に緊張がほぐれていった清少納言は、持ち前の暗記力と機転を武器に本領を発揮していきます。
 そんな折、尊敬してやまない定子から賜った上等な紙。のちに、名作枕草子を書くことになる紙です。
 貰った当初は恐れおののくばかりで何も書けませんでしたが、長い里下がりをきっかけに執筆を開始します。
 『紙の上では、わたしは自由でした』と述べた清少納言
 これって物書きにひとしく通じる言葉ではないでしょうか。
 父親が名うての歌人である清少納言は、日頃から優れたものを書かないといけないプレッシャーを感じていました。
 けれど、宮中から離れた実家であの紙を前にしたとき、彼女は真に周りの目を気にすることなく、好きなように筆を動かせたのです。
 読んでいた私も意外なところで「物を書くのに、肩肘を張る必要はないんですよ」と言われた気分。

 そうして何枚か書き終わった紙ですが、ある日のこと、実家を訪ねてきた右中将、源経房に「ちょっと借りるね~」くらいの軽いノリで持ってかれてしまいます。
 体裁を整えておらず、清書もしていない文章でしたので、清少納言も『まさか、あのまま中宮様にお渡しすることはあるまい』とのんきに構えていました。
 ところが、紙が返ってきたのはだいぶ経ってからのこと。
 しかも、『手から手へと読み回され、そのつど書き写されてきたかのような、手垢で汚れ切ったものになり果てていた』のでした。
 つまり、書いてはひとりでニヤニヤしていたものが、知らないところでオンライブクマの上位にランクインしていたようなものですから、きっと戦慄が走ったことでしょう。

 清少納言の目線で平安絵巻を覗くというのは、夢書きの端くれである私にとってとても面白いものでした。
 それに、男性人気なら江戸時代、女性人気なら平安時代と言われるくらいですから、物語の背景も肌に合ったのだと思います。
 何より、読めば読むほど健気で忠誠心のある清少納言が愛しく思えるのです。
 歴史音痴な私がまさか歴史上の人物を好きになる日が来るとはゆめにも思いませんでした。
 それはきっと、原作リスペクトというか、モデルである清少納言を敬意や愛情を持って描ける冲方さんのなせる業なのでしょう。
 初めて読んだ歴史フィクションが「はなとゆめ」でよかったと、心から思います。

 余談ですが、うっかり手を滑らせて本を落とした際、文庫のカバーがはずれてしまったことがあります。
 すると、そこで思いもよらないことが! なんとカバー裏面に掌編小説が載っているではありませんか。
 作中でも、詠んだ和歌に草花を添えたりして「平安の人は気遣いが細やかだなぁ」と思っていただけに、この趣向には思わず「雅!」と感嘆してしまいました。
 もし本を落とさなかったら、きっと気づかなかったと思います。
 この時代ならではの演出で、どこまでも奥ゆかしいと感じました。
 今度は、紫式部の目線で平安旅行をしてみたいものです。