【感想】「悩みグセ」をやめる9つの習慣
会社員の頃に買った本です。タイトルから分かるように、悩みグセに悩んでたんでしょうね。
そして、今この本を手に取っているのも、また悩みグセに悩んでいるからにほかなりません。
改めて読んでみて「なるほどな」と納得したこと、「こういう見方もあるのでは?」と疑問に思ったことを自分なりに書いてみます。
できないことは後回し
焦ってる人ほど「心理的視野狭窄」を起こしやすいです。
心理的視野狭窄とは、人は焦っているときほど冷静に物事を見られないということ。
この本では「10分探して見つからないものは、1時間探しても見つからない」と言い切っています。
家の鍵とか、眼鏡とか、スマホとか……。たしかに部屋の中を探しても見つからないときありますよね。
そして、しばらく経ってから「こんなとこに……!?」って意外な場所で見つかるんですよ、悔しい。
私の場合、転職活動のサイトを延々と見たりするのも、心理的視野狭窄が働いているのかもしれません。
もちろん就職先を10分で決めろ、という話ではありませんが、「寝かしてみるのも手」だったりするのかも。
欧米のほうが日本よりも本音を言えない文化
じつは日本よりも欧米のほうがハッキリと物事を言えない風潮があるのだとか。
一見、信じがたい話ですよね。
だって、トランプ前大統領なんてあけすけに発言するじゃないですか。
ほかにも、海外の俳優さんのほうが発信力が高いイメージがありますし。
けれども、一般人レベルでいうと、白黒ハッキリ言える人は少ない、というのが本書の主張です。
どうしてハッキリ言えない文化があるかというと、考えられる要因のひとつが訴訟社会。
口が滑ったことで慰謝料が莫大になりうる欧米では、たとえ夫婦間でも気を許せなくなってしまうことも……。
だからこそ、欧米では「ホームドクター」をつけるのが一般的らしいです。
心がしんどいとき、風邪を引いたときと同じように病院へ行く。受診の垣根が日本よりも低いのです。
日本だと、精神科や心療内科に通っているというだけで、深刻な空気になりますよね。
どちらがいい、という話ではないけれど、国が変われば抱える悩みも違うんだなと思います。
決めつけをなくす
「コレステロールがちょい高めのほうが長生き」
「地球温暖化の原因は必ずしも二酸化炭素ではない」
あなたは、これを聞いて「絶対違う」と思いますか?
それとも「可能性はあるかも」と思いますか?
強く信じている人とそうでない人では、話が衝突しそうですよね。
最初から決めつけてかかると、分かり合えたはずの人と分かり合えなくなってしまうというのが筆者の主張です。
まぁ、何でも疑ってかかれとか、全部鵜呑みにしろとかではないけれど、「これしか認めない」という考えよりは「違う意見も受け入れられる」ゆとりがあったほうが、人間関係は上手くいきそうです。
感情が認知を歪める
私は自他共に認める卑屈野郎なので、自己肯定感が低いと誉め言葉も素直に受け取れません。
「それ絶対思ってないよね?」とか「あてつけなのでは?」と勘ぐってしまいます。
この本で出された例として、「朝、出勤したら上司に会議室へ来るよう言われた」という場面があります。
そのとき、あなたはどんなことを想像しますか?
私は100パー「ヤッベー、なんかやらかした!」と想像します。
ところが、これこそ認知の歪み。
なぜなら「会議室へ来るように」としか言われてないのに、妄想だけが先走っているからです。
やましいことがなければ、構える必要はありません。
今回は極端な例ですけど、マイナス寄りの妄想ばかりが浮かぶときはお疲れなのかもしれません。
そして私は、マイナス寄りの妄想しかできないので、疲れを通り越して麻痺しているのかもしれない……。
用心深い人ほど騙される
疑り深い人はなかなか心を開きません。
だからこそ、幾重もの「疑りフィルター」を通して選ばれた(?)人を信頼します。
妄信、といったほうが近いかもしれません。
それゆえ「〇〇の言うことだから」と騙されてしまうのです。
私も他人と打ち解けられないタイプですが、そのなかでも打ち解けられた人には安心感から騙されてしまうかも。
最近は「この人に騙されたら、もう諦める」くらいの境地でいます。
ほどよい距離がかえって上手くいく
親しいことは正義に思えるけれど、近づきすぎないことも同じくらい重要です。
家族だから、友達だから、何でも許されるというわけではありません。
言われたくないこと、聞かれたくないことの一つや二つあるでしょう。
ほぼ初対面の人に「年収は?」「結婚してるの?」「子どもはいるの?」などプライベート聞く人はいませんよね。
たぶん、もっと無難な話題から入ると思うのです。天気とか。食べ物とか。
上辺だけの会話で親しみがない、と思う人もいるかもしれませんが、それでもいいのです。
近づきすぎると心の距離はかえって開いてしまいます。
満点をとれる厚かましさ
見た瞬間、ギクッとしました。「完璧がお前ごときにできると思うなよ」と言われた気分……。
すごい人って周りにいますよね。長時間仕事して、家事もして、育児もして、パートナーや周囲の人をきちんと労うような……。
今は働きながら子育てが当たり前、みたいに言われていますけど、私からすればその生き方が「完璧」に見えます。
そんな人たちが、とんでもなくすごい芸当をしているように思えるのです。
「でも、みんなやってるし、私も目指さなくては……!」
白状すれば、今でもそう思っています。
なんか、みんなやってるから私にもできるみたいに思ってる気がするんです。
私にも満点が取れるような気になってくるんです。
でも、それって幻想なんですよね。そもそも「みんな」って誰のことを指してるんですかね。
自分の能力をきちんと把握できてないんだなって思いました。結論「満点は無理」
謙譲も過ぎると毒
「駄文ですが、よろしくお願いします」
よく、WEB小説の紹介に載ってますよね。こう書きたくなる気持ち、分かります。
けど、その自信のなさが誰かを不快にしていることもあるんです。
駄文と書いた小説が読者からすると非常によかったとき、自分が書いた小説に比べて語彙力があったとき、「この人が“駄文”といってる話をいいと思ってる私は何?」現象が起きます。
といっても難しいところで、自信満々を主張されても鼻につく感じがしてしまうものですが、言葉にして言う卑下はほどほどが吉です。
期待されれば人は伸びる
これを「ピグマリオン効果」といいます。ケチョンケチョンに言われるよりは、期待されたほうがモチベーションもあがるかもしれません。
今季ベイスターズの主将を務めた佐野選手は、この最たる例なのかも……?(もちろん、ずっと頑張ってきた成果が今年になって実を結んだのだと思いますが)
私は、期待されるとプレッシャーになってしまうタイプです。
だって、褒められることが「報酬」になると、褒められなかったときが無力感でいっぱいになるから。
本に異を唱えるような書き方になりますけど、「褒められること」や「周囲の期待」はあくまで副産物ぐらいにとらえたほうがよさそうです。
褒めてくれる人が必ずしも近くにいるとは限らないですし、いても貰えるものとは限らないです。
期待されていたとしても、その期待は時間が経てばどんどんレベルを上げられてしまいます。欲望と一緒で際限がありません。
錯覚による期待外れ
テストで95点取ったA君、60点だったB君。
A君は褒められ、B君は叱られました。
次のテストで、A君は80点、B君は70点。
A君は「油断したのね?」と責められ、B君は「よく頑張ったわね」と褒められました。
めでたしめでたし。
では全然ないですよね。
これらは一見、本人たちの努力の度合いを表しているように思いますが、そうではありません。
初回のテスト。満点までA君は5点、B君は40点の差があります。
言い換えれば、A君は5点しか伸びしろがないということ。
そう言われると、A君が次回のテストで前回を上回るのは大変そうですよね。
けれど、条件を無視して、次回も同じ水準を求めてしまうから期待外れを引き起こしてしまうのです。
私にも似た経験があります。
先日、私はMOSというエクセルの資格を取りました。
もっと他の機能も知りたくて、その資格の上級コースを現在勉強中です。
しかし、合格直後は意気揚々と勉強できていたのに、今はなぜかそのペースが上がらないのです。
普段から怠け癖があるので、自分の性格のせいだと自己嫌悪したりもしました。
けれど、ペースがあがらないのは当たり前。だって、今やってる勉強は「上級」コースなのだから。
そう思いついたときハッとしました。知らない情報が以前より格段に多い試験に対して、前と同じペースでできるわけがなかったと。
それからはその日に進んだページ数も気にしないようにしています。
複眼思考
内容としては、前述の「決めつけをなくす」に近いかもしれません。
物事にはさまざまな面があります。それを意識できるかどうかが重要です。
白黒決めたがる人、早く結論を出さないと気持ちが悪い人は、この複眼思考を気にしてみるといいかもしれません。
ちなみに、この「早く結論を出さないと気持ちが悪い人」って、せっかちな人が多いんでしょうかね。
私はメールも早く返さないと落ち着かないし、必要な提出書類があればすぐに準備したいタイプなのですが、こういう人は白黒二分割思考に陥りやすいのかもしれませんね……。
ほかにも、私は長く体調が悪いとき、「全快でないという状態」に鬱々としてきます。その際、「全快」と「不健康」くらいの分け方をしていたように思います。
たぶんこれを複眼思考で考えるなら、「絶好調」「好調」「まぁまぁ」「可もなく不可もなく」「ちょっと調子悪い」「あんまり元気ない」「不健康」「軽症」「重症」とかグラデーションになるんでしょうね。
そして、「あんまり元気ない」だとしても「これをやってるときは元気」「夜になるとつらい」とかもっと細分化できるはず。
「良い」と「悪い」の二択は分かりやすいけれど、それだけが答えではないのです。
まとめ
今の自分の状況に置き換えながら読むと、いろいろ発見がありました。
ただ、タイトルに「習慣」とあることから、本書の実践を習慣化していかなければ、私のように何年たっても「悩みグセ」に悩まされてしまいます。
きっと、この記事を書いて数年後も、大して変わらぬ価値観で生活しているかもしれません。
それでも、立ち止まったときに読み返して「ああ、そうだったそうだった」と補正していきながら読むのもアリな気がしています。