空の屋根に座って

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【感想】凍りのクジラ

凍りのくじら (講談社文庫)

凍りのくじら (講談社文庫)

 辻村さんの作品を読むのはこれが二作目で、裏表紙の紹介文を読んだときは「???」と頭上にハテナが並びました。というのも、辻村さんの小説は、人間のもつ暗い部分を克明に描写する作風だと思っていたので、ドラえもんの世界観とどうリンクするのか全く想像できなかったからです。ただ、読んでみれば分かりますが、この本は藤子・F・不二雄を超絶リスペクトしていないと書けない話でした。
 
 高校生の理帆子は、頭が回るゆえに人を馬鹿にしがちでした。表向きは愛想よくしながらも、誰といても心から楽しめない。そんな自分のことを藤子・F・不二雄がいう「SF(スコシ フシギ)」に倣って、「少し 不在」と分析していました。他の登場人物に対する評価もとにかく辛辣で、もし自分の友人がこんな風に思っていると考えるだけでゾッとしてしまうくらいです。

 でも、まったく共感できないかって言われると、そうでもないんですよね。少なからず人はダークな部分があるわけで、他人に期待しないほうが傷付かないことを知っているから、内心では裏切られたときに備えて「少し 不在」でいる必要があるんだと思います。そして、そう思ってしまう性質を『とても息苦しい』と理帆子は表現しています。その葛藤が自分と重なって、私自身も読んでいて苦しかったです。自分の暗い部分を直視させられるような感覚でした。
 ただ、理帆子は美人の設定なので、その描写が出るたびに我に返れます(笑)「危ない危ない、これ小説だったわ」って。そのくらい現実味がある話で、気が付くと引き込まれてしまいました。

 辻村さんの書き方で毎度スゴいなと思うのは、ダメ男の出てくるシーン。今回は若尾という司法浪人生で、こちらは理帆子よりもはるかに他人を馬鹿にする性格の持ち主。スロットで取ったお菓子を店のテーブルにダバダバと溢して「リホ、嬉しい?」と聞くところなんて、サイコパス感が半端じゃない。身の毛のよだつってこういうときに使うんだなって思いました。彼は最終的に自殺未遂で病院送りになりましたが、理帆子はあんな執着の塊みたいな人間とどうやって縁を切ったんでしょうね……。

 こんなとき、頼れる人は家族なのでしょうが、理帆子の場合は父親が失踪しており、母親も末期ガンを宣告されて入院中。ひとりで抱え込む以外にありませんでした。そのお母さんのこともあまり良く思っておらず、小説の中盤くらいまでは割とボロクソな評価でしたが、お母さんの容態が悪化するにつれて、それまで目を背けていた不安が強烈に存在を主張してきます。それもそうですよね。明日には唯一の肉親が死んで、天涯孤独になってしまうかもしれないと思ったら、どうしていいか分からない。理帆子はとても理知的な女性なので、なんとか普段どおりの生活を心掛けますが、それでも切迫感は文章からバシバシ伝わってきて、もう何とも言えない気持ちになりました……。お母さんが遺した写真集を見ているときなんて涙腺が崩壊して、寝る前にちょっと読もうくらいの気持ちでいたのに、そのシーンはひと息で読みました。

 予想していたとおり、明るい話にはなりませんでしたが、そんななかでも救いになった人物が別所、郁也、多恵さんの3人。海面を覆い尽くす流氷から、クジラが割れ目を探して息を吸い込むように、一時だけ苦しさを紛らわしてくれるような存在でした。
 本を読むのが好きだった理帆子。なかでも愛読書は『ドラえもん』。反応が怖くて誰にも打ち明けられなかったのに、彼らにだけは自然に「私、ドラえもんが好きなんです」と言えました。そして、彼らは馬鹿にすることもなく、過剰に反応するでもなく受け止めてくれます。一緒にしていいか分からないですけど、オタバレとかこんな感じではないですかね。身構えてしまう理帆子の心理が分かるからこそ、彼らの存在に救われる部分がありました。

 そして、最高だと思ったのは、郁也をおぶって夜の道を引き返しているとき、背中に感じた「ドシラソラシ ドシラソラシ ドシラソラシ ドシラソ」の場面。郁也は失語症の少年ですが、理帆子が監禁場所から救いだしたときには意識がなく、理帆子は祈るような気持ちで暗い森の中を進んでいました。そんなときにあのドラえもんのオープニングイントロを出せるセンスには鳥肌が立ちます。場違いなくらい明るいメロディですけど、理帆子にとっては福音に聞こえたことでしょう。ドラえもんの優しい世界と相まって、このシーンは一番感動しました。

 最後はなんだかシックスセンスを彷彿とさせるようなオチで、かなりビックリさせられました。言われてみると、たしかにあきらさんは誰とも会話してないんですよね。SFの盲点を辻村流でやってみせた作品だなぁと思いました。
 そういえば、あきらさんの好きな女性って誰だったんですかね。昔のお母さんだったのかな。